大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌地方裁判所 昭和46年(ワ)1386号 判決 1974年4月19日

原告 山谷豊彦

右訴訟代理人弁護士 二宮喜治

右訴訟復代理人弁護士 藤内博

被告 国

右代表者法務大臣 中村梅吉

右指定代理人 宮村素之

<ほか二名>

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

(原告)

「被告は原告に対し金五〇万円及びこれに対する昭和四六年一一月九日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。」

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

(被告)

主文と同旨ならびに被告敗訴のときは担保を条件とする仮執行免脱宣言を求める。≪以下事実省略≫

理由

一、原告が、昭和四四年一二月二二日、札幌市大通り西一三丁目所在札幌地方裁判所公判廷で開かれた訴外山本こと千葉寿夫に対する窃盗被告事件の証人として呼出しをうけ、訴外小関正平検察官からなされた「あなたが山本やアベと一緒に昭和四一年の四月ころ旭川駅前のバスに乗ろうとしたお客からお金をすり取ったことがありますか」という尋問に対して、「それについては全然ぼくいいたくありません」と述べてその証言を拒絶したことは当事者間に争いがない。

二、ところで、原告の本訴請求は、まず、原告が右のように述べて証言を拒絶したのに対して、裁判官が「言いたくないという証人の気持わかりますけどね、証人としては言いたくないことでも聞かれたら言わなければなりません。そういう義務があります」といって、証言を要求したことが、憲法および刑事訴訟法のうえで認められている証言拒絶権の行使を不当に妨げたものとして違法たるをまぬかれないというものであるが、その趣旨とするところは、証人たる原告としては、適法に証言を拒絶したことにもとづいてそれ以上は証言を要求されないという人格的利益を有していたにもかかわらず、裁判官がさらに証言を要求することによってこれを侵害したというにあるものと解される。そこで、このような人格的利益との関連において、原告の右証言拒絶が法律上証言拒絶権の行使として適法なものであるか否かについて検討することにする。

(一)  まず、訴外千葉に対する窃盗被告事件の公訴事実が「被告人山本こと千葉寿夫は、阿部弘之、山谷豊彦と共謀のうえ、昭和四一年四月二三日ころ、旭川市宮下通八丁目旭川駅前バス停留所において、熊谷太市が着用していた背広ポケットから現金一三〇、〇〇〇円余在中の財布一個を抜き取り窃取した」というものであることは被告の自認するところであるから、右尋問は、証人たる原告にとってはまさしく自己の犯罪事実に関して供述を要求される内容のものであって、刑事訴訟法一四六条によって証言を拒絶することのできた場合であることはあきらかである。被告は、右犯罪事実は原告にとって確定裁判のあった事件と余罪の関係にあったもので、法律の通常的な運用の実情を前提とすれば現実的かつ実質的な訴追の危険はなかったと主張するが、右犯罪事実について確定裁判の既判力が及ぶとか公訴時効が完成して公訴権そのものが消滅したとかの事情が認められないかぎり、刑事訴追をうけるおそれは存在するものといわざるをえないから、右主張は採用できない。

(二)  そして、検察官がした前記尋問自体からみて、原告が証言を拒絶したのは、一見、原告自身が刑事訴追をうけまたは有罪判決をうけることをおそれたためであるとも推認しえないではないが、成立に争いのない甲第二号証の八(乙第三号証)によれば、原告は、証言を拒絶するにあたり、刑事訴訟規則一二二条一項所定の証言を拒む事由を示さなかったことが認められるから、証言を拒絶した際の原告の意図が右推認のとおりであったかは必らずしも明らかではないうえ、たとえ、証人が客観的には自己の犯罪事実につき刑事訴追をうけあるいは有罪判決をうけるおそれがある場合であっても、実際にはこのようなおそれを考慮することなく、もっぱら、訴訟当事者その他の第三者の刑事上の不利益を防止するというような目的なり意図をもって証言を拒絶したときには、適法な証言拒絶権の行使があったとはいえないものと解するのが相当である。けだし、証言拒絶権は、黙秘権とは異なり、司法の適正な運用のために要求される一般的な証言義務の例外として一定の事由がある場合にのみ限定的に認められたものであるばかりでなく(刑事訴訟法一四六条が「何人も、自己が刑事訴追を受け、又は有罪判決を受ける虞のある証言を拒むことができる」とし、同規則一二二条一項が「証言を拒む者は、これを拒む事由を示さなければならない」と定めているのも、証言拒絶権が黙秘権とは異なることを示すものである)、証言拒絶権の根拠である自己負罪拒否の特権自体があくまでも自己の刑事上の不利益の原因となるような供述を拒否できる権利として権利者個人の利益のために認められたものだからである。しかも、本件では、裁判官が前記のごとく述べて証言を要求したことが、証言の強制にわたる違法なものとして国家賠償法一条の要件を充足するか否かが問題なのであるから、原告がいかなる目的なり意図をもって証言を拒絶したかは、証言拒絶の際にあらわれていた資料のみではなく、本件の口頭弁論終結時までにあらわれた一切の資料を総合して決定すべきものであることはいうまでもないところである。

(三)  ところが、このような観点に立ってみると、結論からいえば、原告が検察官の尋問に対して「それについては全然ぼく言いたくありません」と述べて証言を拒絶したのは、もっぱら、訴外千葉に対する気兼ねないし同人の刑事上の不利益となる証言をしたくないという気持からであり、自己の刑事上の訴追をおそれたものとはとうてい認められないのである。以下、この点を分説することにする。

(1)  まず、証言を拒絶したときの目的ないし意図について原告が供述しているところを具体的にみてみると、なるほど、甲第二号証の五(原告に対する偽証被告事件の第三回公判調書)には、「自分もその事件に関係しているので起訴されるとまた刑がふえると思った」、「自分が犯罪に問われ処罰されるときはいわなくてもよいと思い、いいたくないといった」、「証人尋問の前の取調べのとき刑がふえるものとオドオドしていた」、「千葉の事件そのものよりもはっきりいって自分が起訴されて一年も二年も刑がふえることが頭にあった」と述べた部分があり、原告本人尋問においても、「結局自分の不利益になることをいわなくてもいいという考えであった」、「証人としてきかれる前の取調べのとき、自分では千葉が刑をうければまた刑がふえるなと思っていた」と述べた部分があり、原告が自己の犯罪事実につき刑事訴追をうけることをおそれて証言を拒絶したともみれなくはないようである。しかし、他方、甲第二号証の五には、「自分の刑がふえるのをおそれたのと千葉をかばいたい気持があった」、乙第一五号証(前記被告事件の第二回公判調書)には、「自分が本当のことをいうと私自身が処罰されることのおそろしさと千葉が仲間なので何とか助けてやりたい気持があったのです」と述べた部分があり、原告本人尋問においても、「相手も否認しているし、ぼくももちろんその事件に関係があるのでその事件に対していわないつもりでいた」と述べた部分があるなど、自己の刑事訴追をおそれたのと千葉を助けてやりたい気持の二つの理由を並列して述べているところがあり、また、甲第二号証の五には、「死んだと思っていた千葉が自分の目の前にいたのでビックリして本人をかばうつもりで偽証したのです」、「死んだと思った千葉が余りにもピンピンしていたのでビックリし、千葉に対して悪いことをしたなと思ったのです」などと、もっぱら、千葉の利益や同人に対する気兼ねからであった旨を述べた部分もあって、証言を拒絶したときの目的ないし意図に関する原告の供述自体かならずしも一定はしていない。

(2)  そこで、原告と千葉との関係、原告が証言を拒絶するに至るまでのいきさつ、証言を拒絶した際の状況および直後の原告の供述などを仔細に検討することによって、原告が証言を拒絶したときの目的なり意図をみるに、その成立に争いのない甲第二号証の八(乙第三号証と同じもので、原告が証言を拒絶したときの証人尋問調書)、いずれも原本の存在および成立に争いのない乙第九号証(訴外阿部弘之の検察官に対する供述調書)、第一〇号証(福島簡易裁判所の原告に対する窃盗、同未遂被告事件判決)、第一一号証の一(原告の司法警察員に対する供述調書)、第一一号証の二、第一四号証の一、二(いずれも原告の検察官に対する供述調書)を総合すればつぎの事実が認められる。

すなわち、原告と千葉とは昭和三九年ころからの知りあいですり仲間であったが、原告にはいわゆる真打ちとなって直接すりをする程の技術はなく、本件で問題となっている旭川駅前のすり事件のときも、阿部弘之といわゆる幕の役目をし千葉が真打ちとなってバス待ちの男から約一三万円在中の財布をすりとり、分配金として約三万円を千葉からうけとった。右事件については、まず、阿部が苫小牧警察署に逮捕されて犯行を自供し、ついで、昭和四二年三月ころ、原告が網走警察署に逮捕されて一旦は犯行を自供したがまもなくこれをひるがえして否認を続けたため結局処分保留のまま釈放された。その後、原告は、昭和四四年四月ころ、別のすり事件で福島警察署に逮捕され、合計五件、被害総額約一三五万円の犯行について起訴され、昭和四四年八月二六日、福島簡易裁判所で懲役二年六月の実刑判決をうけたが、言渡前の同年八月九日、福島警察署の警察官に対して再び旭川駅前のすり事件について自供し、右判決確定後の同年一一月一七日に福島地方検察庁で検察官の取調べをうけた際にも同様にこれを認める供述をした。しかして、その間のいきさつについて、原告は昭和四四年一二月二二日、千葉に対する窃盗被告事件の証人として証言した際、「阿部は刑に服しているし、千葉は肺病で亡くなったと聞いていたので自分が事件をしょっていくつもりで自供した」、「起訴とかそういうことは全然考えていなかった。余罪だなと思ったが、一つこのことはかんべんしてもらおうと思った」旨述べ、昭和四五年九月二二日に偽証被疑事件で検察官の取調べをうけた際にも、「取調べをうけたとき今ごろどうしたのかと思ったが、福島警察署に勾留中に千葉が死んだと聞いていたし、他人に迷惑がかからないなら事件をかぶっても求刑に影響することはないと考えていた」旨述べている。つまり、共犯者である千葉が死んだということを聞いたことが再自供のきっかけであったことを述べているのである。ところが、昭和四四年一二月になって千葉に対する窃盗被告事件の証人となるため福島刑務所から札幌刑務所に移監されて千葉が生きていたことを知って再び供述を変えるに至り、検察官のいわゆる事前テストに対して犯行を否認し、同月二二日に開かれた公判期日に出頭のうえ千葉の面前で冒頭判示のとおりの尋問をうけたのに対して「いいたくない」旨述べて証言を拒絶したのである。そして、その後の検察官の尋問に対して、千葉とは面識がある程度で一緒にすりをやったことはない旨述べ、裁判官から「いいたくない」といったときの気持を確かめられたのに対しては、「死んだと思った人が目の前にいるのでまことにすまないと思い、いいたくなかった。自分でしょって解決しようと思ってたところへ目の前にいたことに対しては本当にびっくりした。全然関係がないのにやったとでたらめいったことは千葉に対して本当に申訳ない。千葉という名前を出してでたらめいったこと、迷惑かけたことに対してすまないと思う」旨述べてひたすら千葉に対する謝罪の気持をあらわし、さらに千葉の尋問に対しては、同人のグループの内容は知らないし、仲間に入ったとか入れてもらったということは全然ない旨述べているのである。

これを要するに、原告は、別件の公判中に本件のすり事件について犯行を自供したものの、千葉に対する窃盗被告事件の証人として尋問をうけて再びこれを否認するに至ったものであり、しかもその理由として述べているところをみても、もっぱら、千葉に対する気兼ねないし同人の不利益になることはいいたくないということのみで自分が訴追されることをおそれたことをうかがいうる事情は何一つ存在しないのである。

(3)  そして、以上のような原告と千葉との関係、原告が証言を拒絶するに至るまでのいきさつ、証言を拒絶した際の状況およびその直後の原告の供述のほか、原告は、本件の証言拒絶の時点まで前科八犯を有していていかなる場合にどのような手続を経て刑事訴追が行われるかについては相当の知識を有していたとみられること、原本の存在とその成立に争いのない乙第四号証(原告に対する偽証被告事件における証人木山正博の尋問調書)に、千葉は能弁でよくしゃべり原告はこれに対していいたくないという表情ですり仲間の団結力の強さを感じたと述べている部分があること、証人小関正平の証言中に、原告は証言のときは最初から緊張してコチコチの状態であり、同じすり仲間の前で一緒にやったと述べることは仲間のおきてに反するということで困惑していると感じられたと述べている部分があることなどの事情を総合的に考慮すれば、原告が証言を拒絶したのは、もっぱら、千葉に対する気兼ねないし同人の刑事上の不利益となる証言をしたくないという気持からであり、自己の刑事上の訴追をおそれたものとはとうてい認められないのである。

(四)  そうとすれば、原告が証言を拒絶したことは証言拒絶権の行使として適法なものとはいえず、したがって、それ以上は証言を要求されないという人格的利益も認められないことになるから、これに対して、裁判官が「言いたくないという証人の気持わかりますけどね、証人としては言いたくないことでも言わなければなりません。そういう義務があります」といって証言を要求したことは、その動機とくに右裁判官が、前述したところと同じように適法な証言拒絶権の行使とはいえないものと判断したことによるものか、それとも、何らかの事情によって原告が証言拒絶権を有すること自体に思いを至さなかったことによるものかを問題にするまでもなく、証言拒絶権の行使を妨げた違法なものであるとする原告の主張は理由がないものといわなければならない。

また、証言拒絶権は、証人が真実を述べることによって刑事訴追をうけあるいは有罪判決をうけるおそれがある場合はその証言を拒絶することができるというにとどまり、虚偽の供述をすることを許す趣旨でないことはいうまでもないから、たとえ自己の犯罪事実についてであっても、宣誓した証人が証言を拒絶することなく虚偽の証言をしたときは、偽証罪の成立をまぬかれることはできない。したがって、本件の場合、検察官が証人として宣誓のうえ自己の記憶に反する虚偽の供述をしたものとして原告を偽証罪で起訴したこともまた違法とはいえないものというべきである。

もっとも、原告が右偽証罪の起訴に対して無罪の確定判決をうけていることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第二号証の一三(右偽証事件判決)によれば、刑事裁判所は、原告が証言を拒絶したことは証言拒絶権の行使として適法であり、これに対し、裁判官が前記のように述べて証言を促したことはその不当な侵害であって原告は偽証罪の主体たりえない旨判示していることが認められるが、刑事裁判と民事裁判とは、その目的、機能、判断の構造を異にするものであって前者が後者を拘束するいわれはないから、右の刑事確定判決があるからといって上述した判断をするうえでとくに支障となるものではない。

三、以上のとおりであって、裁判官の違法な証言強制および検察官の違法な公訴提起によって精神的な損害をうけたものとしてその賠償を求める原告の本訴請求は、その余の点につき判断を加えるまでもなく失当たるをまぬかれないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 太田豊 末永進 裁判長裁判官原島克己は転任につき署名捺印することができない。裁判官 太田豊)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例